今に続く音楽制作

音楽をいつから作り始めたのかというと、高校生ぐらいからだと思います。

最初はフォークソングをギター1本で作っていました。(1975)

当時のフォークのアーティストに憧れていたということもありました。

叙情派とも言われるアーティストの曲には主張もあり、内省的なものも多くあり、歌と言えばテーマは「恋愛」だけというものから一線を画したものも結構あったと思います。

おそらく高校のころだけでフォークを100曲ぐらいは作っていたと思います。

(デモテープをレコード会社にかなり送りましたが、何もありませんでした。(>_<。)

大学に入り、サークルでキーボードも弾くようになります。(1980)

それがきっかけで大学の友人がアルバイトしていた渋谷の宇田川町の150人も入るパブレストランで毎日、アメリカンポップスのDJ、またビートルズなどの弾き語りをするようになります。

ここで得た財産はとても大きなものでした。

アメリカの音楽の歴史も研究でき、ほぼ毎日お客さんを目の前に弾き語りをするという「訓練」(修行)ができました。

このころからは歌ものを自宅でピアノで作曲をするようになりました。

大学卒業後ぐらいから、世の中はコンピュータミュージックという時代が始まります。(1985)

今はパソコンもソフトも安価ですが、当時はカセットのMTR(多重録音機)もその後のオープンリールテープのMTRも20万円〜100万円、小さな画面のモノクロのMAC(SE30など)とシーケンスソフトと周辺機器で100万円という時代でした。

なかでもとりわけ飛びつきやすかったのが、当時日本で席巻していたNECのPC-9801というパソコンとカモンミュージックの「レコンポーザ」というシーケンスソフトでした。

この組み合わせですと40万円ぐらいで手に入るというので、なんとか買うことができました。ちなみに当時のパソコンはハードディスクなど内蔵ではなく、Aドライブにアプリケーションディスク、Bドライブに文書ディスク(作ったデータを格納するディスク)というもので、メディアはふにゃふにゃした5インチのフロッピーディスクでした。データのやりとりも数年先に電話回線でやりとりができるニフティサーブが登場するまでは、電車に乗って届けたり、郵送したりという超アナログな時代でした。

20代半ばから後半になると、あるご紹介から大手の広告代理店にシンセサイザーで作っていたインストルメンタル(楽器のみの曲)のデモテープが渡り、CMの曲制作、また声優事務所の紹介からTVなどのアニメーションの音楽制作などをするようになります。(1987)

またここでの「訓練」(修行)ものちに大きな財産になりました。

音楽作りに「納期」というものが存在し始めます。

デモテープを作り、まずはディレクター(アニメは監督)に聞いてもらうのですが、NGなことも結構あり作り直しをしていきますが、MA(映像と音楽、効果音をミックスする)作業の日が決まっているので、その日までにOKになって、完パケ(仕上げた音源(当時はオープンリールのテープ、またはDAT))を作業当日に持っていかなければなりません。

どこかに絶対大丈夫という気持ちがあったのも事実ですが、CMの音楽制作である方から「あのシンセサイザー奏者の○○風なのがいいんだよね」と言われ、作曲しますが、何度持って行っても「この感じじゃないんだよね」と言われたことがありました。そのディレクターは3回目に持って行ったときに初めて机の引き出しからテープを出して、「こんな感じなんだよね」と渡してくれました。

それを持って帰って聴いた瞬間に「最初からこのテープを聞いていたら、この感じで曲を作っていたのに・・・」と「若いなりに」かなりの憤りのようなものが湧いてきたことがありました。

それからは打ち合わせのとき「何々風に」と指定されたときには、そのアーティストの曲を数曲持っていって選んでもらってから作るようにしました。

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